わたらせ渓谷鐵道(通称「わ鐵」)のトロッコ列車わっしー号に乗って、桐生駅(群馬県桐生市)から間藤駅(栃木県日光市)までのプチ旅行をしてきました。
わ鐵の品川社長による沿線案内と、地域とともに鉄道文化を守ってきた、その経営理念に心動かされました。
【1】 わ鐵の歴史とその魅力
【2】 クラウドファンディング
【3】 地域とともに
【1】わ鐵の歴史とその魅力
1914年(大正3年)足尾銅山から産出される銅を輸送するために、私鉄足尾鐵道 開業。
1918年(大正7年)国が買い上げて鉄道院(後の国鉄)の足尾線となる。
1973年(昭和48年)足尾銅山の閉山により、旅客・貨物ともに輸送量が激減。
1980年(昭和55年)頃から赤字線として、1985年(昭和60年)廃止とされる・・
が!沿線市民の間で足尾線を残そうと、ラッシュ時1000人の乗車を達成し、存続へ押し返す。
1989年(平成元年)までJR東日本足尾線、その後は第三セクターである、わたらせ渓谷鐵道株式会社が路線を引き継ぐ。その後は、観光客輸送に力を入れて・・
1994年(平成6年)年間の利用者100万人を超える。
私が乗車したのは、「トロッコ列車わっしー号」です。窓ガラスのないオープンタイプの車両を連結した列車で、その車名どおり、渓谷を走り滝の真横を抜ける44.1㎞の鉄旅は、車窓の景色は飽きることなく、爽快です。
神戸駅~沢入駅間にある草木トンネル内では、約10分間、天井に約12,000球のLED電球によるイルミネーションが点灯し、青と白の星空をイメージしたイルミネーションを楽しめます。
また、歴史的建造物や鉄道施設が数多く現役で活躍していて、その文化的価値が認められ、駅舎や橋梁・トンネルなど、38の鉄道施設が登録有形文化財となっています。
そのレトロな建造物は、映画やテレビの撮影でもよく利用されるとのこと。映画「ラーゲリより愛をこめて」では、足尾駅に日本兵・ソ連兵のエキストラがどっと集まり、壮観だったそうです。確かに列車ごとタイムスリップした感じです。
【2】 クラウドファンディング
2020年(令和2年)新型コロナウイルス感染拡大が深刻化し、わたらせ渓谷鐵道でもトロッコ列車の運休、イベントの中止で、大きな打撃となりました。外出自粛の要請が相次ぐ中、依然として客足の回復は見込めず、「トロッコわっしー号」が車両検査を迎えることから、多額の検査費用をどうするか・・ということで、クラウドファンディングに挑戦することになりました。
でも、当初はなかなか集まらず、目標額までは遠く及ばなかったそうです。ここでNHKが「トロッコわっしー号」の車両検査のクラウドファンディングを取り上げてくれると、全国から応援メッセージとともに、あっという間に目標額達成!
かつて沿線住民として利用していた方、観光で訪れてファンになった方・・そんな皆さんに支えられていることを実感されたということです。
列車内には、品川社長のクラウドファンディングへの感謝の辞が掲示されていました。
【3】 地域とともに
ここまで、品川社長のお話を伺っていて、クラウドファンディングの達成は、NHKの報道の力だけでなく、今までのわ鐵の歩みによって、下地作りあってのことなのだと感じました。
ふるさと駅長(無人駅のボランティア駅長)の募集、「わ鐵市民協」(イベント支援、沿線の草刈りや景色を妨げる樹木の枝・竹林の伐採、市民参加の車両の清掃など)、郷土を美しくする会(駅のトイレ掃除)・・様々な活動を地道に継続してきたことで、地域共同の一体感と強い補完関係が築かれているのでしょう。
過疎と高齢化が進む地方で、地元企業として沿線住民とともに、鉄道文化を守り、育てていく気概を感じました。
いかがでしょうか。ぜひ、これからの紅葉のシーズンに群馬県に出かけて、わ鐵の旅をしてみませんか。もちろん、雪の時期、春の桜、ハナモモなど、季節ごとの美しさも楽しめます。
ただし、IC乗車カードは一切使えませんので、あしからず。あくまでも、レトロですから。
参考:わたらせ渓谷鐵道株式会社ウェブサイト>わ鐵を支える人々
=プロフィール=
プラン行政書士事務所 代表行政書士 中西浩子
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